発達障害の自覚あるいは疑いを持つ人が増えている

カウンセラーの仕事をする中で、昨今は特に発達障害でお悩みの人が増えていると実感させられます。
この私の実感の背景には、おそらく社会的な状況が大きく関わっていると考えられます。むろん、すべてが社会のせいではありませんが、発達障害を抱える人にとって生きにくい社会になっていることは疑いようがありません。
- 空気を読む人が求められる社会
- 物が豊かすぎる&情報が気軽に手に入り過ぎる社会
- 複雑な人間関係の機微、暗黙の了解を察知しなければならない社会
等々・・・・・・
情報過多の社会は、感覚過敏の発達障害者にとっては特に難解です。
見たくもない情報、聞きたくもない情報がとめどなく入ってくる環境において、想像を絶する生きづらさを感じることでしょう。
また、空気を読んで気配りをすることや、社会集団の中の暗黙の了解を察知しなければ、
白い目で見られたり爪弾きにされたりもします。
こういった社会の中で、荒波に揉まれながら社会的スキルをおびただしい量の学習によって補ってなんとか適応している人もいるでしょう。
しかし、それは本当に大変なことです。出来ることなら社会の側が発達障害者にとって生きやすいように変わっていく必要があると感じます。
発達障害を抱える人にとって理想の社会とは?

では、社会はどのように変わっていくことが理想でしょうか?
これは私独りが考えるには非常に荷が重い問題ですが、あえて少し考えてみましょう。
まず一言で表現するならば「周囲の人からの理解と配慮がある環境」であると思います。
このような環境を作ろうと思ったら、1人1人が発達障害に関する相応の知識を身につけなければいけません。
本を読んだりして勉強することももちろん大事ですが、やはり何よりも当事者と関わることが肝要です。
今、発達障害者が増えている現代においては自ずと当事者との関わりは増えていることでしょう。
- 友人
- 知人
- 家族
- 学校関係者
- 医療関係者
等々・・・
カウンセリング業務を行っている中では、発達障害の子どもを抱える母親とのやり取りも多くなります。
その時、カウンセラーである私も子どもとその母親から多くのことを学びます。
逆も然りです。
母親と子どももまた、カウンセリングの中で様々なことを学びます。
このような相互的な関わりによって、生きた知識が身についていきます。
理想の社会のヒントがあるとするなら、このような関係性の中にあると私は考えます。
理解とは、相手に対する心底からの関心が無ければ得られないものです。
この関心を支えるためのバックアップ体制(例えば、カウンセリングを気軽に受けることが出来る環境)が整うことが理想と言えるでしょう。
なぜ社会適応しなければならないのか?

カウンセリングに相談に来られる方はほとんどが「生きにくさ」を訴えています。
なぜ生きにくいのか?
その答えの一つとして、「社会適応しなければならない」という固定観念があるからだと思います。
幼い頃から私達は「皆と一緒」を半ば強いられてきました。
「皆と一緒」はとても安全で安心するものですが、他方で、それから外れた人は悪い意味で目立ちます。
皆と一緒でないことを言ったり、したりすることはその意味でかなりの勇気がいることです。しかし、中にはもちろん皆と一緒であることを至上の価値観としない人もいます。
要するに、望むと望まないとに関わらず、皆と一緒であることを選ばない(選べない)時に「生きづらさ」を感じるのだと思われます。
過剰適応の苦しみ
また、その反対に適応しすぎる(適応しようとし過ぎる)ことによって「生きづらさ」を感じる人もいます。
このような人は真面目で仕事も気配りも出来るように見えるかもしれませんが、適応出来ない事への過度な恐怖・不安感を抱いているとも捉えられます。
過剰適応の人はこの社会が「適応的な人」を求めていることを感じています。そのため皆と一緒であろうとし、また実際に皆と一緒であることが出来る人達です。
ただし、何事も「過剰」は問題となるように、過剰な適応も問題になることが多いようです。
過剰な適応は、
- 本来の自分よりも活動的になる
- 本来の自分よりも気を遣う
- 本来の自分を抑制する
等々・・・・・・
本来の自分からかけ離れることが問題であると思われます。
本来の自分とは、無理していなくて自然体である自分のことです。
現実的には「そうしたくてもそうできない」ことが多いことがまさに社会的な問題であると思います。
しかし、これは単に社会的な問題だけでなく、個人の問題でもあるのです。
せめて自分が少しでも自分らしくいられるように、本来の自分らしくいられるように支援をすることがカウンセリングの役割の一つでもあると思います。
まとめ:適応とは好かれることではない
社会適応を
あらゆる人から好かれること、認められること
と定義してしまうと、それはほとんど不可能であることになってしまいます。
そしてその必要は無いと思います。
本当の適応とは
好かれようと、認められなかろうと、
それを気にせず、堂々と自分のするべき事をして、自分の好きを全うできる事だと思います。
この意味での適応を目指すのであれば、
たとえ障害を抱えていても希望が見えてくると私は思います。
また、誰にでも好かれる人を目指す必要はありませんが、
こと発達障害を抱える人にとって、良き理解者は必要であると実感しています。
自分の障害の特徴を説明できる人。そしてその特徴に対して最大限の配慮をしてくる他者の存在は一人でもいると本当に人生が変わります。
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